田中万川(Bansen TANAKA)
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略歴
1912(明治45年)3月21日、大阪に生まれる。1936年、24歳のときに合気道開祖・植芝盛平に出会う。大阪に滞在中の開祖を旅館に訪ねた際、開祖から「衿をつかんでみろ」と言われ、腕を伸ばした途端、あっという間に投げ飛ばされたという。柔道4段であった田中は、この摩訶不思議な技に驚嘆、即座に開祖の弟子となった。
田中は、開祖の命により玉突き場を改良して60畳ほどの道場をつくり、門弟12人ほどを集め、開祖の甥・井上鑑昭(当時要一郎)による指導を実現。また田中は1951年に1ヶ月茨城県岩間の合気神社境内にある合気修練道場に滞在し、開祖より個人指導を受け、12月、吹田市に道場を開設、翌年には(財)合気会大阪支部道場を設立した。1971年、(財)大阪合気会となる。田中の弟子は数万といわれ、その中からは社会の様々な分野で活躍している人材を輩出している。1988年没。
武道人名辞典 た行
動画
田中万川師範 在りし日のおもかげ
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